一人で空想都市「中村市」の地図を作ってきた地理人ですが、かねてより孤独を感じておりました。孤独というより、能力の限界です。地理人も地図、地理において全知全能ではなく、知識には偏りがあります。特に地形と歴史には弱いのです。知識ある人は逆に、数百年前から遡り、正確さを高める検証を進めると、逆に空想地図を描き進められないかも知れません。適当だから描ける側面もあるのです。いや、開き直ってもしょうがない……
自分の能力の限界を認め、識者の意見をもらって、空想地図を修正していこう、というのがこの「空想測量会議」の試み。第1回は、濃尾平野で生まれ育ち、関東平野の大学で教える、地形に強い羽佐田紘大さんをゲストに、地理趣味の人からそうでないゲストも交え、意見交換を行いました。これをもとに第2回につなげ、地図の修正を進めます。
ゲスト:羽佐田 紘大(法政大学 文学部地理学科 助教)
日時:2020年12月19日(土) 13:00〜16:00
中村市を取り巻く平野の標高が謎
さて、中村市は内陸にある大都市ですが、城下町であり、その後(この地球ではない別の地球のため、日本の首都圏とはまた別の、西京を中心とした)首都圏の主要都市です。内陸にありながら近世以前、そして近代以降ともにそれなりに拠点性が高くなるためには、それなりに中村市の人口が多くなるだけでなく、その周囲の人口、後背人口が必要で、ある程度平野が広がっていると考えられます。
今和泉:海から30km南側の中村市ですが、標高はおよそ60〜80mくらいだと思います。
羽佐田:そんなに高いですか?扇状地ならそのくらいですが、平野だと高すぎると思います。
それでは実際の大都市郊外の中心都市の標高を見てみましょう。
浦和:15m
川越:15m
柏:20m
岐阜:15m
久留米:15m
今和泉:えっ…こんなに低いのか…。
参加者K:春日部で6m、加須でも12mくらいです。
地形に弱かった地理人、各都市の標高をしっかり認識していなかったのですが、なぜ60〜80mだと思ったのでしょうか。それは地理人の出身地の影響です。東京都日野市出身ですが、日野市周辺の主要市街地の標高を見てみましょう。
府中:55m
立川:80m
八王子:110m
多摩地区の標高感覚が影響していたのですが、多摩地区はレアケースだったようです。ただ、多摩地区も関東平野のうちに入り、多くの人が自転車で行き来しやすい平野でもあります。ここがレアケースだったことをここで知るのです。とはいえ、多摩地区の平野の標高が現実なら、中村市の標高も60〜80mだとあり得ない、と断定はできません。多摩地区がどのようなケースで、中村市はそれと近いのか、あるいは違うのか、見極める必要があります。
後背に山が迫る扇状地、多摩地区
扇状地は地理の授業で三角州と並んで習うものですが、その言葉の通り、扇の形をした地で、河川が山間地から広い平坦地(平野、盆地等)に出る際、その川が太古の昔から今に至るまで右往左往することによって、扇形の平たい斜面を作り出すというものです。この例で出てくるのが甲府盆地の釈迦堂あたりと、滋賀県高島市の百瀬川扇状地です。どちらも徒歩で回れそうな狭い範囲なので、扇状地とはそのくらいの範囲のものかと思うのですが…
多摩地区に住み、多摩川と戯れていると、ここが大きな扇状地だということには気づきます。青梅が扇頂で…青梅線沿線から狭山方面だけでなく、むしろ武蔵野台地を含むかなり広い範囲が扇状地なのです。しかしこのことが他の地域より標高を上げる大きな影響を持ち、このことで後背人口が限られるということに、ここで気づきます。中村市のように、後背人口が多いことで拠点都市になり、大楽川や日根川は、中村市より100km以上奥から流れて来ます。多摩川の流域はそう広くはないのと対照的です。
真ん中に見えるのは狭山丘陵に、周囲は平地だけども丘陵が残っているケースはあります。川の削り残しです。
多摩川が南北方向に広く行き渡ったものの、ここだけ削り残しているのです。
盆地の可能性
参加者T:発想を変えてみて、内陸で大都市だと盆地の可能性もある。それなら少し高めの標高で、川幅もこのくらいかもしれない。
確かに中村市が盆地である可能性もゼロではありません。
京都:40m
奈良:70m
盆地でも意外と標高は高めです。中村市が盆地だったとすると、人口それなりに抱え、中村市に人やものを集める後背地域を山脈で区切ることになりますが、それもなかなかダイナミックです。
参加者K:しかし、こうなると山を越えた先に後背人口の受け皿となる、京都における大津が必要?
羽佐田:大津は琵琶湖あっての平野でもあり特殊ケースです。
盆地説に合わせて川を改変しても良い。しかし、後背人口の多さとダイナミックだけど、これはこれで難しいので、やはり平野にすることに。
標高を下げる方向で進めます。空想地図はみなさんが思っているより簡単に描き変わるのです。
突然現れる岡崎説
参加者S:岡崎とかどうですか?
羽佐田:確かにちょっと似てるかも。岡崎は矢作川が作った平野で、岡崎市街地は台地の上、すぐ脇が矢作川の低地。少し似ている箇所がある。
今和泉:川が合流し、川は低地を作るがすぐ脇が台地で市街地。これは中村市街地(平川駅周辺)と近いかも。
参加者M:水運と交通の要衝であった点も遠くない。
川が右往左往して平地を作る元荒川説
羽佐田:大楽川と日根川の2つの川が中村市を含む広い平野を作った。だとすると左右に振れてほしい。
「振れる」…?
つまりは川が同じところをずっと通るのではなく、右往左往して川が土砂を運び、ならすことで広い範囲に平野ができる、という話です。
参加者K:もともと日根川と平川がつながっていて、日根川の旧流路が平川ではないだろうか。埼玉県の元荒川と似ている説です。旧日根川である平川が中村市街地に近かったから、より外側の現日根川を本流にしたという流れは、ありそうです。
なるほど、日根川と平川がつながっている…そうなると、このあたり一体が全て平地ということでしょう。
どの川を本流にしてどの川を支流にするか、川の歴史から流路まで、空想地図は可変性に満ちています。
今和泉:どこを本流にしてどう川の流れを変えようか…
一同:そんなフレキシブルなもんなんですか?
今和泉:空想地図なので。
参加者M:でも現実の武将も流れを変えてるし。徳川家康とか加藤清正とか。
羽佐田:さきほどの矢作川は徳川家康が流れを変えてます。
川幅が狭すぎる!?
羽佐田:もうひとつ、川幅はもう2倍か、それ以上あるかと思います。
今和泉:埼玉の荒川だとそのくらいかも知れませんが…
確かに、多摩川に馴染みがあったためか、自然と多摩川の川幅をトレースし、気持ち少し広くしたくらいでした。川がここから奥、かなり広い流域を持つことを考えると、水量はかなり多いでしょう。常時多い訳ではなく、大雨が降ったときに流量が増えるのです。太古の昔は、その水がいまの流路をはみ出して右往左往し、養分を流し、肥沃な平野を作っていったのです。今や洪水にならないよう、広い河川敷と高い堤防が作られるようになります。そう考えると、平常時の水量はさほど多くないかも知れませんが、河川敷は広いはずです。
→ 大楽川と日根川、河川敷を広げることに
羽佐田:また、川と行政界(市町村等の境界)が素直すぎる気も。
今和泉:一時期かなりずらしたんですが、ちょっと下手だったので一気に現在の流路の中心に合わせたことがありました。またずらしてみるかもしれません。
玉津の微高地問題
羽佐田:このあたり(中村市東部)は全部低地でも良いのか……
今和泉:いえ、中村電鉄沿線、中宮区南部には、起伏を求めてます……
(広い範囲に丘陵を描いたため、なくなると地図の修正が大変すぎる、という事情)
さきほどの狭山丘陵のような例も踏まえつつ、他の可能性を探ります。
参加者K:一気に崖にするなら、海食崖(海が削った崖)みたいな線もあるのかなと。
羽佐田:いや、ここまで入り込まないでしょう。もし日本の平野だったら、縄文海進(縄文時代、現在より海水面が高かった頃、今の内陸部まで海岸が迫っていたときのこと)で沈めてOKなのは標高5mくらいでは。(このあたりは20m程度)
羽佐田:日根川の本流が雄貝川だったとしたら、を考えると大変でしょうか。
今和泉:雄貝川を本流にすべく、川幅を広げるのは、地図修正上は容易なことです。ただ、ここが大河川になってしまうと、対岸の中宮区との回遊性、連続性が絶たれ、いま描いているよりは都市化が遅い時代に行われた住宅地にしたり、連続性を絶った独立した市街地、住宅地にしなければならないので、描き替える範囲が広く、避けたいところです。
羽佐田:日根川は丘陵を削る川として、大楽川に注ぐ説もあります。なぜより低地である北西に直接進まず、北東に注いだかの理由を考える必要があります。このルート、この距離だと、将軍の命令で人工的に掘ることは現実的ではないかと。南西から続く丘陵を削ったという線はあるでしょう。
岐阜説?しかし問題は岩石だった・・・
参加者K:岐阜市街地の近くにある小さな山は、この状況と近いのでは?残丘(川が削り残して残った丘)っぽいですが。
今和泉:確かにね…
羽佐田:しかしここは、地質の問題でこうなっています。ジュラ紀の(ジュラ紀に付加した)チャートなんですよね。
参加者K:あ〜〜
チャートとは、ガラス質のとても硬い岩盤。それゆえ、川が削ることができずに残丘として残っているのです。
しかし、丘陵は残るものの、もうひとつ別の問題が。
羽佐田:しかしもしチャートだとしたら、開発が大変なんですよね。硬いので。金華山周辺は開発できない。愛知県の新興住宅地は砂岩や花崗岩質だが、さすがにチャートとなると難しい。
今和泉:現在問題となっている丘陵地、玉津付近はそれなりに宅地開発されてるんですが、これが難しいということですね。
さきほど例に出てきた狭山丘陵も、川が削り残すほど地質が硬く、さらには現在開発されていない、というところも共通しています。周囲に平野を残したままそこだけ独立した丘陵が残るのは、地質が硬くて開発されない、くらいしかないようです。確かに、岡山の操山も、開発されていない…。宅地開発しやすい丘陵は、周囲を平野に囲まれた島のような形でなく、他のどこか、山間部と繋がっていたほうが良い、ということで・・・
雄貝川=元日根川説はやめて、南北の丘陵を生み出そう
羽佐田:左右に振れている説をなくし、山之口から玉津までずっと丘陵地が続いている説にしたほうがすっきりします。このあたりにも幡田山、という地名がありますし。
今和泉:地名はいくらでも変えられるんですけども…
羽佐田:日根川水系と、雄貝川水系を分けて、その分水嶺の丘陵が玉津まで続いていることにします。多摩丘陵のような形です。そうすると、平川水系が結構な水を集めてくるので、平川の川幅を広めに取ったほうが良いでしょう。
今和泉:平川、雄貝川のどちらが水を集めるんでしょうね。
羽佐田:多摩丘陵で言えば、多摩川と相模川くらいの関係でしょう。
参加者K:平川の水量が増すと、ハザード的なリスクが増すと思いますが…
羽佐田:増しますが、西側は台地なので良いでしょう。市街地に流れる小さな水路は平川からではなく、有木川から流れる方が良いでしょう。
さらに、日根川の流域と大楽川の流域を比べると、日根川の流域のほうが広い。こちらが水量が多く、本流になりそうです。
中心市街地平川の成り立ち
今和泉:ここは城下町ではあるが、西京、つまりは以前幕府があったところ(江戸のような)と非常に近い。一般的に幕府の近くに城下町はできない。南方向にはさまざまな地方があり、そこを束ねて守る譜代大名なら城ができるのもアリかということで、そのようにしている。
参加者K:そうすると岩槻城、川越城と近いんですね。
今和泉:そう、岩槻、川越くらいの距離。小田原よりはずっと近い。
参加者M:そうすると、城の役割が、それより奥の街道の守りということになるので、南側にあるのは納得がいく。川も防衛上意味を持つし。
今和泉:ホッ。
雄貝川の流路が変わる
羽佐田:平川はこのくらいの川幅のままで支流として、雄貝川をメインの川にしたほうが自然かもしれない。ただ、ここまで蛇行しないと思います。
今和泉:あ、蛇行は変えられます。川幅も流路も変えましょう。川幅はどのくらいでしょうか。
羽佐田:倍くらいあって良いと思います。雄貝川と平川の合流地点は、合流させないまま流したほうが自然。
参加者K:大楽川、雄貝川の流路の平野は旧流路跡が色々ありそう。
羽佐田:特に雄貝川右岸は旧流路がありそう。
今和泉:追加しましょう。あと、このあたりに(10m刻みの)等高線があるのですが、それは消します。
羽佐田:荒川と入間川の合流地点が参考になると思います。河川が合流して、自然堤防があって、工場もあるという事情が共通しています。
雄貝川は丘陵を削った大きな川であり、かつ中心市街地から遠いことで市街地も守られやすいのだ。
怪しい街「旭田」問題は、川から手をつける
市内にある伝統的建造物群が並ぶ旭田の街。しかしここは成立経緯が怪しく、第2回(歴史編)で検証すべき場所でもあります。
羽佐田:雄貝川の右岸、東側に段丘があるのか。
参加者M:ここは寺町だと思うのだが、そうすると色街が形成される(それが現在の旭田駅周辺の旭田新地)。川幅が狭いとこの構図は成り立つが、川幅が広くなると回遊性が失われ、色街が形成されにくくなる。そうなると川が旭田市街地の西側に流れる気がする。
今和泉:では、現在の旭田駅と旭田市街地の間の、現雄貝川を細くして、メインの雄貝川の流路は市街地の西側に持ってきましょう。
有木区の丘陵(上城山)と谷の小河川(有木川)
まだ時間がたくさんあるので、小さな川も行きたいと思います。
こちら、中村市西部の丘陵の谷あいを流れる有木川沿いです。こちらは修正を加えて、非常に直線的な流路になっております。
以前はこのように、かなり蛇行する流路でしたが、それをやめました。
理由はBRTです。この有木川沿いを走る幹線道路、仙田街道は、現在BRT(幹線バス)が走っています。片道3車線の道路のうち、1車線をバス専用にして、渋滞して遅れがちなバスの定時運行が叶った、という話なのですが、この山あいの道、そんな拡幅できるのかという疑問が起こります。
というのも、山あいの傾斜地にもかかわらず、中村駅から近いこともあって、西京首都圏への人口集中と住宅不足のあおりを受けて、このあたりは一気に宅地化します。傾斜地に住宅ができるくらいですから、川沿いの僅かな平地は住宅地で埋まっているはずです。となると、この道路は拡幅が難しいはずです。もともとそれより狭い幅の道沿いに住宅があって、拡幅のために立ち退いてもらうにも、代替の用地がないはず。こういうところは、大体の場合、拡幅の計画があるだけで、拡幅できずに数十年…となるはずです。でも、なぜか拡幅されている。その結果、BRTもできている…。
拡幅されずにBRTもできない現在を選ぶこともできました。しかし、道が拡幅される理由を考えると、それも不可能ではないなということで、検討を進めると…水害に行き当たります。この小河川が氾濫した際、付近の住宅が流され、道路が狭くて逃げられなかった…ということがあると、道路の拡幅と河川改修が同時に行われるだろう、と思われます。
その結果、拡幅と河川改修を叶えるべく、道路下に暗渠ができ、その後BRTが生まれる、という流れならありだろう、ということで、壮絶な災害が加わりました。
今和泉:広島の先日の災害もそうですけど、普段は全く危なくなくて、局地的、瞬間的に豪雨が降ってきた時に災害が深刻化するのだと思います。そのとき市街地も少し氾濫したかも知れませんが、市街地のように平野が広ければ溢れ出た水も広い範囲に広がるのでそこまで危なくはないかと。とはいえ市街地に漏れ出たことも、河川改修の理由になりそうです。
羽佐田:それだけ削る川であれば、谷幅は広めな気がします。
今和泉:あるいは、有木川沿いの谷にある有木街道の道幅はそのままにして、南の丘陵地にバイパスを作り、そちらにBRTを通す案もあります。
このあたりは定まらないまま、引き続き検討事項となります。
今和泉:ふう、しかしこれで川&平野問題は解決したと思います!ありがとうございました。