空想測量会議 第3回〈都市計画編〉

この試みは中村市を各専門の人に指摘してもらい修正する、プライドがないからできる企画です。第1回の地形編で大きく河川が変わり、第2回の歴史編では城下町の規模と寺社が変わりました。第3回はあまり地理の分野では語られない都市計画を修正していきます。

ゲスト:三文字 昌也・上原 翔(東京大学大学院都市工学専攻)
日時:2021年2月28日(日)16:00〜18:00

第1回(地形編)

第2回(歴史編)

東京大学大学院の博士課程で都市計画史の研究をされながら、都市デザインや建築設計を担う「流動商店」を経営されている三文字昌也さん、東京大学大学院の修士課程で都市計画を研究され、用途地域図に詳しい上原翔さんをゲストに呼んでいます。録音環境が悪く、配信や映像は音声が途切れるところもありますが、要約動画もありますので、よろしければどうぞ。

都市計画とは?

そもそも都市計画とは何なのでしょうか。実は都市はある程度計画されていて、例えば城下町は古い計画都市です。現代では住居の隣に不適切な店などが立地しないようにするためにあらかじめ商店や工場などの土地利用を決めたり、建物の高さを規制したり、交通の円滑化を図るために道路を計画したりするなど都市をマクロでみて計画したり立法するのが都市計画です。

平川と旭田、2つの市街地の様子

城下町の北東にできた平川駅

今和泉:(2)東側の通りは、平川駅周辺も都市化するのをふまえてできたと考えています。ただ、(1)西側の通りだけでは交通をさばけなくなるのは結構後ですよね。
三文字:戦後でしょうね。戦前には(2)東側の通りをバイパスとして計画しないでしょう。
今和泉:そこが問題なんですよね。1920年代には平川駅ができているのですが……この頃の平川駅の様子が読めません。
三文字:(2)東側の通りは堀だった可能性がありますね。
上原:もしかしたら用水目的かもしれないですね。
三文字:この道を軸に平川地区ができたんでしょう。
今和泉:もともとの城下町の範囲と平川駅周辺では区割りが違うでしょうね。とりあえず東への旧街道との交差点より南がもともと堀で、そこから北は城下町の外なので道路をつくり放題です。

城内が狭くて市役所を置けず、新しい街、平川に新市役所?

今和泉:中村市の場合、第2回の歴史検証でわかったことですが、中村市の場合、城址面積が狭いので、多くの県庁所在地のように、城址に官庁を作るほどの面積がありません。そこで参考にしたいのが、城下町ではないですが神戸です。港町である兵庫津と生田神社のある三宮の中間に神戸駅をつくり、当初はその近く、湊川公園のあたりに市役所を置きました。

今和泉:その後市役所が、当時の新しい街である三宮に移転します。平川駅もその三宮と同じパターンなのではないでしょうか?
三文字:はじめ城の近くに市役所ができたのがどこかのタイミングで平川駅の近くに移った可能性はありますね。移転が平川地区開発の契機になっているかもしれないです。何のタイミングだったでしょうね……
上原:安直に考えるなら城が大きくないですし、手狭になった点ですかね。

まさかの震災発生!?

三文字:あるいは、そのタイミングで震災が起きたかですね。
今和泉:そうですね。震災を入れましょう。

まさかの震災が突然生まれてしまう。空想地図、おそろしや。すまない。

三文字:震災があったとなると城跡の公園がかなり早期から防災公園の機能を担っていたかもしれないです。
三文字:震災前の平川駅付近は、古くは城下町周りの耕作地帯でしょう。近代のはじめ頃に移転するのは、郊外移転の先駆けでしょうね。
今和泉:ただ、中村って工業によってわりと早い段階から都市が拡大していったので、平川駅周辺はスプロール化(無秩序に住宅が増加し密集していく)していそうです。
三文字:木造建築が密集していたのが震災で焼けて、そこが区画整理されたんでしょう。

ダークでディープな平川駅周辺のはじまり

今和泉:おそらく1920~35年くらいまで平川周辺がスラム地帯だったでしょう。
三文字:震災復興の中で貧しい人々が集められた場所があって、それが今も色濃く残っている場所があるでしょうね。
上原:駅の裏とかですかね。今でも市営住宅が残っていそうです。
今和泉:平川の今は残っていない古い町名で「市営〇〇町アパート」みたいな感じでしょうか。都市のストーリーとしての深さは出てきますよね。平川駅周辺が今までは旧市街と思っていたけれど、一概に旧市街ともいえない不思議な町になってきましたね。

今和泉:市街地の動きが盛岡みたいですね。盛岡は百貨店などは菜園地区にあるのですが、もともとは肴町が中心でした。その後もともと本当の菜園、つまりは空き地だったために市街化しやすかった菜園地区に移り、今は盛岡駅周辺が第3の市街地になっている三段階の構造なんですよね。

三文字:平川も菜園だったんですかね。ただ、発展の方向性が盛岡と同じなら城下町と中村駅の間に移りそうなので、そこではなかった理由が必要ですね。

近代以降に発達する平川駅周辺の遊郭

上原:平川駅周辺が荒れてしまう要因が何かあったんでしょうね。
三文字:川沿いのあたりが新地(遊郭がある地区)だったんでしょうね。
今和泉:ありえますね。
三文字:新地を取り囲むエリアに田畑があって、いくつか遊郭に向かう道があったでしょうね。遊郭が郊外移転したのが戦災の前か後かはわからないですが……

今和泉:いわゆる明治以降に遊郭が発生するケースはあるんですか?
三文字:とても多いです。バラバラだった遊郭を集め、新たに指定しました。平川は新たに遊郭に指定されたが、震災を機に市街地が拡大していく中で市街地と遊郭が渾然一体となったのはよろしくないので区画整理を実施して平川から遊郭を追い出し、手狭になっていた市役所を移転させて健全な市街地にする流れですかね。
今和泉:ありそうですね。この事業は市がやるから市役所が移って、県庁が移転しない理由付けができますね。
三文字:郭(くるわ)の跡とか周りと違うグリッドとかありそうです。

震災復興で生まれる緑地帯(グリーンベルト)

今和泉:復興計画で都市公園を設ける話が出てきたときにどこにつくるでしょうか?
三文字:震災の木造建築の火災を受けて、延焼防止帯が出てくるでしょう。平川駅からグリーンベルト(緑地帯)を通った突き当りに公園が計画されていそうです。
上原:川に真っすぐ向かう道路があるのは計画として気持ちがいいです。

三文字:当時の震災復興都市計画としてグリーンベルトが大々的に計画されたけど川の左岸しか実現しなくて右岸は小さな公園が少し並んでいるかもしれないです。あと、グリーンベルトは目印となる始点と終点があって計画されるんですが、右岸にはそれらしき公園がいくつかありますね。
今和泉:用地は確保されたけど、住宅事情が厳しくなって宅地化されてしまったんですね。
三文字:1910年代にアメリカみたいなところに留学してランドスケープデザインの源流に触れた都市計画家が帰国して辣腕を振るったんでしょう。

寺社の門前町になった古い街、旭田の伝統的建造物と開発

三文字:旭田の門前町も伝統的建造物群保存地区(伝建地区)になりますかね?
今和泉:なるでしょう。もともとの門前町は街道沿いと旭田不動に向かう参道のT字のエリアです。
三文字:伝建地区に指定されているエリアはどの辺ですかね?
今和泉:参道の部分だけじゃないですかね。旧街道沿いは伝建ではなく昭和レトロな建物が並びそうです。
上原:旭田駅前にはマンションができそうですね。

上原:川越はそんな感じですよね。川越駅から歩いていくとタイムスリップしているような気持ちになりませんか?
今和泉:JR川越駅から蔵の街まで行く途中に平成から明治までの時代のグラデーションを感じられるのがポイントです。

(JR川越駅が平成以降の現代風、そこから北上し城址に近づくと、昭和、大正、明治と時代を遡る)

三文字:それに似たグラデーションが旭田でも起こるでしょう。駅前にマンションができた危機感から保存運動が起こったりしていそうです。
今和泉:蔵と昭和レトロな建物とマンションが混在している景観で、旧街道沿いはカオスだとでしょうね。
三文字:まず、参道が70~80年代に伝建地区に指定されて街並みを保存できたけれど、旧街道沿いは乱開発が進んでしまい、90~00年代にマンションがたくさん建ったが、景観計画課の手が加わって今は緩衝地帯になり、10年代以降は大規模開発を抑えられている流れでしょうね。それにしても、まちづくりの計画がとても先進的な地域ですね。中村大学の学生とか参画していそうです。参道から外れた地域が気になりますね。いい町家が残っていたところが空いてしまったり、おしゃれなカフェができたりしていそうです。

上原:旭田地区の開発の圧力が低いのはなぜでしょうか?
三文字:旭田不動が裏側にかなり土地を持っていて借地権の関係で開発ができなかった話はありそうですね。参道のほうにも土地を持っていて旧街道沿いとの間で開発の差がくっきりと表れていそうです。それが地図に表現されているといいですね。

今和泉:一人で全てのディテールを探るのは難しいと思っていたところ、第2回の歴史検証の際、小林さんが中心市街地の2500分の1地図なら描いてみたいと言ってくれました。地図製作で手を借りられるのは心強いです。
三文字:都市計画学徒としては参道の伝建地区の計画は書いてみたいですね。
今和泉:まちづくりや開発の推移等も追ってみるとおもしろそうです。空想地図は、実際の地域がどのような問題が起こり、動くかを考えるいいフィールドになると思っています。

中村市郊外の住宅地

駅から遠い大規模団地造成、谷芝ニュータウン

上原:中村市の人口は増えていますか?
今和泉:減りはじめですね。
上原:そうなると学校の統廃合も始まっていそうです。
今和泉:谷芝団地のところは谷芝一小と三小は残っていますが、二小は廃校になっています。
今和泉:駅から遠いので何にも使えないんです。
上原:団地内は公園が多いですね。もっとネットワーク化させてもいいかもしれないです。例えば光が丘は公園が連なっています。そのような形で緑道が欲しいですね。
上原:この団地だと地区のセンターに向かってL字の緑道が想定されますね。

三文字:高速道路と団地の建設はどちらが先ですか?
今和泉:高速道路ですね。
三文字:そうなると高速道路沿いの団地の開発は難しそうです。
今和泉:緩衝となる緑地があるといいですね。
上原:谷芝団地は集合住宅しかないですね。これはなかなか珍しいです。
三文字:緑地を挟んで分譲住宅が並ぶでしょう。
今和泉:ありがちな団地になってしまいましたが、一回はありがちパターンをやってみましょうか。

中村市の地下鉄路線網を考え直す

これまで見直されてこなかった中村市の地下鉄路線網。150万人都市で2路線あるのは、そこまでオーバースペックではないですが、郊外の衛星都市…となるとちょっとレア。さいたま市でも千葉市でも地下鉄はありません。それ以上に地下鉄以外の既存鉄道網がそれなりにある状態で、地下鉄はいつ、なぜ、どこに作られるのでしょう。それでは現状の地下鉄路線網を見てみましょう。

大師前(前回の第2回歴史検証で大師ではなくなったので駅名は変わると思いますが)から平川、出ノ町、旭田方面につながるのが1号線の南北線。大師前からは西京(榊山駅)方面まで中村電鉄に直通するので、都心直通路線でもあります。正平橋線は西端が那田沢、東端は詰久の先、久暁駅までつながっています。

しかし、中村〜詰久間は既に2本の鉄道(内鉄鴨山線、中村電鉄日根川線)が並行し、ここに地下鉄を作る意味はあまり見いだせません。では、さきほど話題に出ていた谷芝ニュータウンに地下鉄が走るのでは?という案が出ます。

東西線を谷芝ルートに変更?

三文字:谷芝団地の公共交通はバスですよね?本数は多めでしょうね。中村市のバスは市営ですか?
今和泉:BRTシステムを市が計画して、会社は中村電鉄バスと中村交通の2社が運行しています。
三文字:谷芝団地の開発主体がどこだったかが気になります。市が主体なら市営地下鉄の計画とかあったはずなんです。
上原:ただ、地下鉄がある南東方面は勝手に開発が進みそうなので、谷芝に延伸したほうがいいでしょうね。

今和泉:中村の地下鉄は90年代以降のリニア地下鉄ですが、谷芝団地の開発後にやはり必要とされてできてくるんですかね。90年代には高齢化する未来が見えていただろうから。
三文字:南西方面のニュータウンも同じような経緯ですか?
今和泉:そうですね。郊外の宅地開発の一環です。

この地下鉄はいつできたのか?

今和泉:中村市は第2次産業と大都市郊外の宅地化で発展したので、財政のピークは80年代で、90年代から厳しくなっていきます。地下鉄は80年代の勢いで作ったと思われます。
三文字:90年代初頭に当選した中村市長が3期くらい務めていて、ニュータウンを作れば発展するんだと言い張って無理やりニュータウンと地下鉄を作って、大変になった流れでしょう。普通のフルスペック地下鉄でも問題はなさそうです。
今和泉:リニアにしては早いかもしれないですね。

旭田に地下鉄を通すのは難しい?

今和泉:地下鉄をどう引くかを悩んでいます。旭田不動の目の前に駅を設けようかなと思っていますがどうでしょうか?
三文字:伝建地区の中に地下鉄の駅がある事例はありますかね?
上原:聞かないですね。地下鉄があるようなところに伝建地区はないからでしょうが……
三文字:地下鉄があると、いい意味で俗っぽい、あまり古い建物が残っていない形になりそうです。
今和泉:旭田不動より東側のバイパスの下に通すのが現実的でしょうか。あるいは、出ノ町で終点にしてしまいましょうか。

しかしこのバイパス、山を貫通するトンネルのがあるので、その下に地下鉄を作るのはそれはそれでハードルが高そうですが。ただ、その先も別の鉄道(内鉄南水線)と遠くないところを通るしかなく、そこまで交通空白地帯に行けないので、出ノ町で終点にしてしまうのも仕方ないかもしれません。

2路線は多すぎる?地下鉄を一本化する案も…

上原:地下鉄南北線は、出ノ町で西枝電鉄山之口線に直通してそうです。
今和泉:ただ、ややこしいのは南北線の南端につながりそうな西枝電鉄と、地下鉄南北線が北端で乗り入れる中村電鉄が競合関係にある事です。
三文字:そうなると西枝電鉄との直通は考えにくいですね。

三文字:地下鉄南北線のほうが古いですか?
今和泉:そうですね。80年代に開通したはずです。
上原:人口の割に鉄道路線の密度が高いですよね。
今和泉:そうなんですよ。さきほど地下鉄正平橋線の谷芝延伸案が出てきて突然存在意義が出てきましたが、オーバースペックなのではなくそうかなとも思っていました。正平橋線の西側(那田沢方面)を南北線の南端にして、谷芝方面と旭田方面をやめて1路線にする案も考えられます。

鍵となるのは第3の街、出ノ町?

今和泉:地下鉄を出ノ町からニュータウンの那田沢のほうにのばせないですか?中村駅を経由しないのはさすがに無理ですかね……
上原:ありえなくはないですね。
今和泉:市としては平川と出ノ町をつなげたいと思うんですよ。平川駅周辺の中心地、中村駅周辺に次ぐ、第三の市街地でもあるので。副都心にしたい構想はありつつ開発はできず、猥雑とした街がグルメタウンになっています。

上原:操車場跡地が開発の糸口になりそうです。3分の2がマンションで下層階にオフィスが入る形でしょう。
三文字:出ノ町を副都心にする計画なら、地下鉄も平川から出ノ町を経由して郊外のニュータウンに向かう計画があったのは信憑性があります。
上原:出ノ町とニュータウンの間に道路はできているはずです。
今和泉:そうですね。道路をつくりたいけど全然完成していない残念感をあらゆるところで出しています。郊外の環状道路も未完成です。

一本化した後の出ノ町以南のルートは?

上原:出ノ町から那田沢へつながるルートは、吉森と片原を結ぶ道路のところですかね(吉森・片原ルート案)。

今和泉:遠回りになりませんか?仙台の東西線とか、最近の地下鉄だと急カーブが多い印象がありますが、そんな感じにならないでしょうか。
三文字:70年代の計画だとそうはしませんね。その当時ならかなりアグレッシブな都市計画道路と地下鉄計画があったはずです。(アグレッシブなルート案)
上原:それを見込んだ開発がどこかでされていそうです。
三文字:片原団地はそれらしいですね。
上原:そうなると団地のセンターは北側にあるでしょうね。
今和泉:このくらいのカーブなら当時の地下鉄計画でもありえそうですね。おっ、これで地下鉄のルートが変わって一本化されそうです。
三文字:大改革になりましたね。この計画道路は実現させますか?
今和泉:実現させます……かね〜。
三文字:道路事情が少し改善しますね。

その他、比木と有木台団地を結ぶ比木・有木台ルート案も考えられるので、図に入れておいた。

交通網のボトルネックがひどすぎる?

上原:中村市って相当道路事情が悪いんですね……
今和泉:そうなんです。平川と出ノ町の間は完全にボトルネック化していて、やりすぎたと思っています。
三文字:目も当てられない渋滞でしょうね。
上原:白枝橋から繁見橋に抜ける道路があてになれば改善しそうです。
今和泉:あるにはあるものの細い道です。別に東側に1本道路を作るかどうか迷っています。あと、南北のバイパスが中宮バイパスだけで、部分的にしか拡幅されていない道路がある感じです。
三文字:雄貝川の堤防沿いに道路があれば、それは活用されそうです。住民は出ノ町に行く最短ルートだと知っていてみんなそこを通りそうです。国道との間に1本できたとしても信号が多くて堤防のほうが早く行けるパターンもあるでしょう。
今和泉:国道との間に道路があったとしてもここの交通をさばくのはかなり大変ですよね。

突如現る、平川〜出ノ町〜旭田の都市高速

三文字:都市高速の計画はなかったんですか?
今和泉:中村北ICから都市高速もどきがのびているだけですね。
三文字:南北渋滞が激しいなら60~80年代に雄貝川を活用した都市高速が構想されていてもおかしくないです。この規模の川の上は少し考えにくいですけど、中村北ICからの道路が南下しているとかですかね。
上原:できるのは川の脇でしょうね。
今和泉:出ノ町までのばしましょう。

三文字:出ノ町より南の国道もかなり渋滞するでしょう。
上原:旭田まで計画されていたはずです。

雄貝川河川敷のルートを取ればは旭田付近まで行けるので、延伸はできるのだ。

三文字:旭田が都市高速によって便利になりますね。
上原:そうなると工業団地を建てられてしまいそうです。
今和泉:川を挟んだ市街地の反対側ならできそうです。
上原:その辺がもう少し栄えるかもしれないです。
三文字:旭田の駅裏が栄えそうです。

上原:工場があったかもしれないですね。
今和泉:工場跡地が再開発されて、駅も地上駅から橋上駅になって伝統的な建造物風の新しい駅舎ができる流れですね。
三文字:旭田は駅の東口と西口で全然風景が違う町になるでしょうね。

住宅地の街区公園(一定間隔で置かれる小さな公園)が足りない!?

三文字:全体的に公園が少ないですね。
今和泉:もともと丘陵だった西側のニュータウンに偏ってしまっています。あとは街区公園を描けてないのが問題です。

三文字:それ描けると公園の存在感出るかも…ただ、大変ですよね。
今和泉:小学校は人口に応じて全体感を見て配置したのですが、街区公園と幼稚園・保育園は圧倒的に足りていないです。
三文字:学校と緑地は市全体の計画を作って数と面積を割り出したいですね。

集合住宅団地の間隔

三文字:西側のニュータウンの隣棟間隔が狭いですね。
上原:特に綾文台団地のところですかね。3棟並ぶうちの真ん中をなくし、より大きな建物が並ぶと自然です。各棟の間とかに公園があったほうがいいです。60~70年代の団地は駐車場が足りないケースが多くて、棟の間の公園が駐車場になっていそうです。

工場の配置を修正したい、舟島工業団地

上原:気になるのは工場の配置です。敷地の真ん中に置くより端に寄せたほうが現実的です。従業員のための駐車場があったりするので。
今和泉:たしかに郊外の大型商業施設もそうなっていますね。工場に行かない人間のボロが出ました……
三文字:ファインモールの配置は都市高速側に駐車場があるほうがいいですね。都市高速沿いは環境が良くないので、そこに接して建てないはずです。
三文字:ここはもともと山川製作所があって、その周りを工業団地にした流れですかね。市が運営している工業団地なら工業用地に厳しいルールを課しているはずです。
上原:普通は工業専用地域にしますね。用途地域を変更しなければならなくなります。
今和泉:東側に大規模工場跡地のマンションがありますが、もともと明らかに工業専用地域だったのに、それがどう崩れていくかの過程をたどりたいです。
三文字:東側のマンションを建てる際も担当者は苦労したでしょうね。
上原:それから工業団地の中にも公園はあります。誰も使わないのに無駄に大きくて、整備状況が悪いのが特徴です。
三文字:工業団地内に公園があったからマンションもできたんでしょう。

三文字:工業団地北側の不均等なグリッドの成立過程が気になります。
今和泉:グリッドは均等にしましょう。
三文字:均等にするか、工場によって1:1:2にするのがいいでしょう。

西部の那田沢ニュータウン、急いで作図したので…

上原:戸勢団地の配置が気になりますね。波状の配置がやりすぎな気がします。もっと地形に合わせた形になると思うんですよ。

今和泉:実はこの戸勢団地と江尻団地をつくった際に全然時間がなくて慌てて埋めた記憶があります。戸勢の「勢」ってそのときの「勢い」でつけた記憶がありますもん。もうちょっと集合住宅の配置を上手にしたいです。集合住宅の配置の参考になる本ってありますか?
上原:『団地図解 地形・造成・ランドスケープ・住棟・間取りから読み解く設計思考』(篠沢健太・吉永健一著)ですね。
三文字:それぞれの団地の形成年代に合わせて参照すると良いです。

制作協力

今和泉:その辺をやりたいっていう人いますかね?
三文字:団地が好きな人は都市計画の界隈には多いですね。東京大学大学院の都市計画専攻の入試に3時間で団地の設計をする、即日設計があってそれを受ける人が多いので大学院入試に向けて準備をしている人は団地をたくさん描くんですが、そのリソースとして中村市を活用するのはありかもしれないですね。

おわりに

今和泉:一番の課題は平川の市街地ですね。グリーンベルトは難しいかもしれないですが、遊郭の変遷やスラムだった時代が気になりますね。
三文字:僕もスラム再開発は興味があります。
今和泉:全面的に区画整理をしてもとと全然違う様子になったりとか駅裏は歓楽街になったとかですかね。
三文字:中心市街地が北に移動していった話とかもありますね。
上原:古地図とまではいわないですが、簡単な昔の構造の図があるといいですね。

今和泉:最後にご感想などありますか?
上原:勉強になってとても面白かったです。これでよかったのかと思う部分もありつつ、もっともらしい町になりました。
三文字:僕も勉強になりましたね。僕はまじめな都市計画屋というよりも変なストーリーを考えるんですが、今の都市計画が今後にどう影響するかを考えてみたいですね。将来、どのような政策を打ち出して、どこにどのような制度を適用して、どういう計画にしていくかについても次回議論したいです。中村市マスタープランを作ってみたいですね。

今和泉:谷芝団地に地下鉄が通ったか、と思いきや、地下鉄1路線化によって元通り交通空白地帯に戻ります。
三文字:高齢化問題とかも谷芝から進んでいくでしょうね。
今和泉:工業都市だったところがそれに頼れなくなった点、郊外が積極的に選ばれる街ではなくなった2つの点がかなり財政を圧迫している課題先進地域として今後もご注目ください。ありがとうございました。

第1回(地形編)

第2回(歴史編)

(記事:福山 一茂)