空想測量会議 第2回〈歴史編〉

一人で空想都市「中村市」の地図を作ってきた地理人ですが、かねてより孤独を感じておりました。そこで、識者の意見をもらって、空想地図を修正していこう、というのがこの「空想測量会議」の試み。第1回は地形面を検証し、主に河川のルートや幅を書き換えることになりましたが、第2回は歴史編で、寺社の参道に強い京都大学地理学研究会の重永瞬さんと、地理系書籍の蔵書数が多くて家が壊れそうになったほど、地理的知識のインプットの大きい小林護さんの2名で、中村市の歴史面を検証してもらいました。

〈空想都市〉中村市 空想測量会議 第2回 歴史編

ゲスト:重永 瞬(京都大学地理学研究会)・小林 護(在野地理研究会)
日時:2021年2月6日(土) 13:00〜15:00

第1回(地形編)

第3回(都市計画編)

第1回は映像の記録と配信に失敗しました。(ネット環境がある…と思ったら、なかったのです)
その反省を踏まえて?第 2回は万全の映像記録と配信が叶いました。

記事を読むには長い!と思った方への要約動画はこちら。

中村市の成り立ち

中村市は大河川の合流地点で交通の要衝で、奥に平野が広がっています。古くは農業が中心で、近代以降は川沿いに工業が進出し北へ30kmのところにある首都、西京の郊外として発展した県庁所在地です。

発達した理由は他の方向より平野が多かった、色々な方向への街道の結節点であったといったところです。西京が江戸時代に相当する時代に大きな城下町であっただろうに中村にも城があった理由として奥のあらゆる方向から西京を守るためではないだろうかと考えています。

小林:支藩にしては規模が大きく、幕府があったであろう西京と距離が近すぎますね。
今和泉:そうなんです。関東でも例が少ないですよね。
小林:川越と小田原を足して2で割ったような町ですね。
今和泉:川越くらいの距離に小田原くらいの町があって、小田原以上の発展をしたといったところでしょうか。

今和泉:質問が来ています。「西京と中村は律令国は同じですか?」ということですが、川越は武蔵国で江戸と同じですね。
小林:正直、江戸時代だと律令国の影響ないですね。
今和泉:江戸的な時代以前を考えるときに要検証ですね。

※1:律令国…7世紀後半に成立した律令制下の地方行政組織。「大和国」や「武蔵国」など、68か国あった。(時代により変動がある)

中村市街地(城下町)の検証

近世の中村、城と城下町の規模を検証する

小林:城の規模に対して、城下町が小さくないですか
重永:半径1kmでも小さいですね。川越はどれくらいですか?
今和泉:だいたい2倍くらいですね。城下町を描く自信がなく、小さくしてしまいました。
小林:「県都物語」を見てみます。福井で半径1kmくらいですね。
重永:東西2km、南北1.5kmくらいだから、福井よりは小ぶりですね。

重永:南北の街道に対して東からの街道(地図右)だけが斜め右に伸びていて、さらにその道に対して町割り(道路網)ができているのが不思議です。城に対して水平なほうがしっくりきます
今和泉:そうなんですよ。そこは描いたあとに気づいた一番の課題です。確かに45度斜めの格子状の区画が差し込む城下町は見たことないですよね。色々な無理があってこうなってしまいましたが、これは修正したいと思います。

近代の中村、市街地と駅の距離に疑問!?

重永:駅は(鉄道が敷かれた当時の)町はずれにできることが多いですが、城下町と駅がちょっと離れているような気がします。
今和泉:鉄道は北側に円峰山の台地があって、それを避けた結果という背景があります。まあ、そのために山を作った感もあるのですが……
小林:城の裏側に駅を作るのが珍しいかもしれないですね。
今和泉:しかし、城下町側は厳しくないですか?都市によっては城のすぐ裏に駅ができたりするじゃないですか。
重永:秋田とかはそうですね。
今和泉・小林:あとは山形
今和泉:かぶった(笑)
小林:それと山陽新幹線の……
今和泉:福山?
小林:このメンバー話が早くていいですね(笑)


山形駅周辺 (この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)


福山駅周辺 (この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

今和泉:宇都宮は城があって川があって駅というパターンですね。「城はどこ?」と言いたくなる町ですよね。
重永:城があるべき場所に神社がありますね。
今和泉:門前町の様相です。


宇都宮市 (この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

ゲストも空想地図を描いてみる

それでは試しにゲストにも空想地図を描いてもらうことにしてみました。
しかし、恐ろしい大破壊が起こることに……

小林:この方法で鉄道を全否定しないで済むかなと思いましたが、鉄道以外を全否定してしまいました。

重永:全体的な関係は動かしたくないので町全体を西にずらし、1.5倍くらいに拡げました。

今和泉:2人とも、全否定がすごい…!
重永:城下町に口を出すと町の構造全体に手を加える必要があるという……空想地図を描かない人間なので書く人の苦労を全く理解していないんですよね。
今和泉:2人ともそんなに駅と城下町近づけたいですか?近づけることは絶対条件ではないと思っていて、例えば前橋、富山は離れていますよね。


前橋市 (この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)


富山市 (この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

そもそも、城の規模は小さくて良い?

小林:先ほどの武家地の話を受けて思ったのは、川越城とか尼崎城のように大都市を守るための城であって、単独で何か機能を持つことは期待していないですね。
今和泉:ということは城を小さくしたほうが現実的じゃないですか?
小林:城を小さくしたほうが早いですね。現状の広善公園(城址の一部、4分の1ほどの面積のところにできた都市公園)で充分な大きさだと思います。
今和泉:幕府との距離とか役割を考えるとこのくらいが現実的であろうということですね。

今和泉:城の重要度が下がると何が中心になるんですかね。例えば桑名は宿場と港と城という色々な側面があるじゃないですか。
小林:尼崎(兵庫県)も城の重要度は高くなくてむしろ宿場と水運の町なのでその一例ですね。
今和泉:ある程度の時代になると首都を守る必要がないのかもしれないですね。

台地が城まで伸びてくる

小林:市街地の道路網は、城や川、台地に沿って平行に作られたりします。そういえば、北西側に山があっても良いかもしれません。水戸のように城が台地の上にあるパターンも。
今和泉:山はおもしろそうですね。そうなると円峰山が自然になって整合性取れますね。
小林:全体を5mくらい上げますか?
重永:今の中村駅の北側で、台地を鉄道が貫通するのは厳しくないですか?(↓改訂後ラフスケッチ、左上)
今和泉:鉄道が通るところは窪んでいて、せいぜい2mくらい削れば良いくらいの高さだと思います。電動自転車じゃなくても登れるくらいの台地ですかね。

重永:そうなると、街道も変わってくるのではないかと思います。
小林:台地を避けて少し曲がると思います。
今和泉:旧道、新道、新新道と違うルートを取れば、現在平川から北に伸びる路面電車が残る理由になります。現状、旧道がそのまま拡幅され、市街地から北に伸びる幹線道路は一本道なのです。これだと絶対に渋滞して、高度成長期に路面電車が廃止されるはずなので、残っているほうが不自然なのです。一応ここは路面電車を残す理由を作ろうかと。

旧街道と中村駅

小林:中村大学のところは駒沢(東京都世田谷区)の元練兵場みたいに旧街道沿いの元軍用地っぽいですね。(↓改訂後ラフスケッチ、中央左上)
今和泉:旧道沿いは断続的に幅50〜100mくらい建物が並ぶ地帯にしようと思います。今でも旧道沿いだけは古くからの店舗や家屋が多く、開店休業状態の商店街がわずかに残っている感じで、大学生にとってはおもしろいのではないかと。
重永:大学生がまちづくり系のプロジェクトをしてそうですね。

今和泉:視聴者の方からです「もはや中村駅側に別のまちを作ってしまうとか…(岐阜と加納)」
小林:駅ができる前に大きくはない旧集落がありそうです。
今和泉:旧街道沿いにあるでしょうね。
小林:そうなると駅が500mくらい北上しそうです。

城下町の道路網の網目の方向は?

今和泉:市街地の道路網についてですが、城下町をつくるうえで天守からすべてが見えるとか縦町、横町とか色々なポイントがあって、金沢のような城下町だとそれらが完璧に反映される傾向があるけれども、弱い町もある気がしたんですよ。

※2:天守(城の中心的な建物)と街路…天守や山等、防衛拠点となるところやランドマークとなるところから、町全体の視認性を高めるため、天守や山から見通せる道路網、街路が作られることがある。


熊本城に向けてあてられている通町筋
空中回廊から 熊本城のいまvol.2」(熊本市観光ガイド)より

重永:城に対して水平か垂直というのはどの町も共通していそうなので、大手筋を1本決めてそれに沿うといいと思います。平川の区画はそのままにして、いずれかの道の延長線上に天守を置きたいですね。
今和泉:旧街道が西から入る、というより街道の方向がまだ全然決まっていない……
重永:城の位置づけが弱いことを考えると、町は街道方向にのびそうですね。城に対して垂直にはのびづらいと思います。
小林:城下町南端の川との接点に河岸をつくれそうですね。
重永:街道が交わるところが札ノ辻になると思うので、商店街は辻の南にできそうですね。
小林:旧街道は河岸の横を抜けていくと思います。
今和泉:これは描きやすくなりますね。城下町内に斜め45度の道を差し込む不自然さが解消されます。これでいい着地になりました。

市内各地の寺社の検証

円峰山と高天寺

重永:中村市街地、城下町の北にある円峰山は独立峰ですか?
今和泉:そうです。周囲を平野に囲まれています。台地もあるので高低差はありますが。
重永:大きな神社とかありそうですよね。
小林:なんでこの山を城にしなかったのかとかも気になります。
今和泉:戦国時代は絶対この山に城がありますよね。
重永:仙台には山に東照宮がありますが、ここも城主と関わりのありそうな寺社がありそうですね。
小林:高天寺が中村城主の菩提寺として山のところにあってもいい気がしますね。
重永:今の位置が氾濫で沈みそうですしね。

参加者:高天寺が鬼門封じの役割だったのかなと思ったのですがどうなんですか?
今和泉:鬼門封じは大楽大師のほうですね。
小林:川に挟まれたすごいところにありますね。大師より金毘羅さんとか水の神のほうがいいかもしれないですね。

問題の大楽大師

今和泉:続いては水神かもしれない大楽大師のところですね。城下町が小さくなったので、鬼門封じでこれほど大きな大師を作る理由があまりなくなり、別の意味を持たせたほうが良いのですが、この町なら水害ですかね。

小林:水の神というと何が思い浮かびますか?
重永:金毘羅さんとか、海のイメージがあるけど住吉とかですね。
今和泉:確かに住吉は海岸ばかり思いつきます。となると金毘羅ですね。ただ、住吉は一般名詞だけど、金毘羅は固有名詞感があってつけるのに抵抗があります。
小林:たしかに「地名+金毘羅」は思い浮かばないですね。
重永:水害と水神をそこまで対応させなくてもいいと思いました。京都だと下鴨神社が川に挟まれた位置ですね。

小林:下鴨神社の由来は何ですか?
重永:京都盆地にいた賀茂氏の氏神です。
今和泉:シンプルに「地名+神社」が良いですね。

重永:全国に分社のある総本山ような感じでもないので、地名を冠しているほうが自然と思います。
小林:近くの旧集落の名前を付けるなら「荒曽神社」ですかね。川が荒れていそうな地名です。今は「新曽」となっていますが、これは住宅地開発で漢字を変えたパターンですね。

若気の至りで古都にしてしまったけど、門前町に着地させたい旭田

最後は重永さんが以前、中村市の地図を見た際に神社中心っぽいけど寺もあり、陵もあるので、どういう経緯なのかと気になっていたという旭田について考察することに。

今和泉:ここは長岡京みたいな数年だけ遷都された都を入れ込んだ結果なのですが「そんなことあるだろうか?」ということで少しずつ都要素を消し、門前町に近づけようとしています。
小林:門前町という町割りではないんですよね。
重永:商店街が参道の向きの南北方向ではなく、東西方向になっていますね。城下町のセオリーで門前町を描くとこうなりそうですね。

今和泉:門前町は大きな寺社を置いて参道を引けばよいという感じに思えますが、そもそもその寺社の起源は何なのかいう疑問もあるんですよね。
重永:大きい神社の立地背景は自然信仰か国府が置かれていたことが多いですね。あと、門前町もタイプが分かれていて、成田山とか善光寺のような多くの大衆が参拝して町を形成するものと、全国に分社があってそれを管理するものがあります。ここは大衆寄りでしょうね。

今和泉:では、旭田は大衆を集める寺社の門前町という着地ですね。
重永:大衆を集めるとなると観音か不動ですね。それか大師を移すのも手ですね。崖のところから水が湧いているのを弘法大師が杖でついたから湧いたことにしていそうですね。
今和泉:弘法大師…をこの世界に転生させるのは難しいのでなんとも言えませんが、これでいいですかね。自然な着地になったと思います。

今和泉:続いては、(古都ではなくなったので)陵を消しましょう。
小林:今何の脈絡もなく陵が消えましたね。
今和泉:空想地図ではすぐこういったことが起こります

小林:一番北にある神社は微高地の末端なので、一番低いところにあることになりませんか?
重永:かなりレアケースです。「貫前神社」というところは川沿いに本殿があって、参道が下っているのですが、それを売りにしている感もあるくらいですね。


貫前神社の下り参道
一之宮貫前神社公式ホームページ」より

小林:なるほど。180度回すとどうですかね?
重永:神社が北を向いているのは違和感があります。
今和泉:川をなくして、東側を低地ではなくしましょう
小林:そうなると寺社は西向きがいいですね。
重永:川から街道、駅、参道、寺社と並んでいるのが自然だと思います。

集合知としての空想地図

今和泉:漫画家に知り合いがいるんですけど、漫画家が原画を描くと、絵の上手なアシスタントが絵を描き進めていくんですよ。私はワンオペの限界がきていて、うまい描き手がいるなら、その人に描いてもらうとよりこの作業が進むなとは思うんです。次の都市をつくるときに集合知のようにいろいろな人に描いてもらうとどんどん生み出せるのではないかと、地理地図感覚のある人にとっての実験場にもなるんですよね。

空想測量会議は私が描いた町を皆さんの知恵を借りて一人で進めてみようとした試みなのですが、割とよかったので、またこうした機会を設けていこうかなと思います。描いてはいないけど突っ込みたい人にとってもおもしろいのではないかと……一部だけでもやってみて、いろいろな人が参加できるようにしていくのは空想地図の展開として面白いと思っています。今回も、地形図も描きる人、描きたい人がいるなら描いてほしいです。

小林:中心部の2500分の1くらいの地形図なら描きます
今和泉:大変だけど、その範囲ならできそうですね。2500分の1で描くと、旧街道沿いだけ間口の狭い建物が残っているとかがわかるので、区画の大きさで見えてくる町の成立過程をやってみたいです。市街地だけであれば架空今昔マップくらいは作れそうな気がしています。

空想地図を描く過程の可視化

重永:こういう地図を見ると全体を見てしまって町を動かそうとか川を付け替えるとかを考えてしまうんですけど、城下町のグリッドの曲がり角の置き方とか細かい部分を調整するのが得意な人もいると思うので、そこにフォーカスして別の企画をするのもおもしろいかなと思いました。
小林:空想地図を見ることがなかったので、こういうことをやっていたのかと楽しく参加できました。
今和泉:空想地図はそれぞれ暗黙の感覚で作っていると思うのですけど、その過程を言語化して組み立てていっている人はあまり見ないので言語化が私の役目かなと考えています。ありがとうございました。

第1回(地形編)

第3回(都市計画編)

(記事:福山 一茂)